スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【コラム】私と野球、そしてアンダースロー論③

ではでは昨日の続きをどんどん書いていきます。それでは、行きます。

⑥ アンダースローとしての考え方 ②

アンダースローではなく、普通の投手でもいえることだと思いますが、ランナーを出すこと、これは厄介です。だからこそ私は余計なフォアボールを嫌いましたし、40イニング連続無四球という変な自慢できるものもありました。初球にきっちりとストライクを取りに行くこと、これが私にとっては大きな大きな1球で、初球に1番神経を使いました。目指すは2-0で、2ストライクからボール球で勝負をして行くという考え方に至りました。やはりその為にもコントロールは必須です。野球センスは有りませんが、走ることとコントロールには自信がありましたので、だからこそ自分に合ったのかもしれません。
良くあんな投げ方でストライク投げられるなあという人がいますが、これはもう感覚としか言えません。はっきり言って投げる時は顔を横にしていますから、リリースポイントと腕の振り具合という部分で制球をつけます。特にリリースポイントは重要で、その為に投げ込みが必要であり、その土台を作る為に走り込みは必要になってきます。あと、アンダースローは肩が出来るのが遅い、とよく言われますが、これも本当です。私は先発の時、50球程ブルペンで投げ込みます。腕が振れず、全くボールが行きません。ようやく肩が温まるのが50球程投げた時、もちろんアウトローにその内の30球は投げ込みます。控え投手だった私は、エースがイニングの途中で捕まりだすと急に作らなければならなくなりますので、一旦試合前に30球程捕手を座らせて投げ、ベンチにいました。牧田とかリリーフやるのは本当に大変なんじゃなかったかなと思います。逆に肩に張りが出てくるくらいが1番いいので、イニングが進むにつれて球が行くようになるというのは有ったと思います。


⑦ アンダースローとしての生き方 

高校時、私は秋・春・夏と、背番号10番でした。エースは右の本格派、140kmを投げる投手で、私は速くても120kmまで届きませんでした。明らかに運動神経、体格、球の速さ、空振りを取ることについては同じ土俵に上がるのも恥ずかしいくらい違いました。それでも、防御率は多少私の方が劣っていたものの、あまり変わりませんでした。先にも書いたフォアボールを出さない、ということの他にも、いろいろと工夫しました。
私は高校3年時の春の大会前の練習試合でエースが完投した試合で、こっぴどく怒られたことがありました。お前はどんな準備をしていたのか、本当に投げる気でいたのか、ということでした。肩も作っていましたし、いつでも行けるようにブルペンで調整はしていましたので、最初はわからなかったのですが、それは一晩思い込んでようやく解りました。それは、配球を見ることでした。私はスコアをつけるマネージャーの隣に座り、今何球投げたか、割合はどのくらいか、どこに立ち、何を狙い、何で抑え何で打たれているのか、徹底的に見るようになりました。実際に投げるときは当然アウトロー軸ですが、グライシンガーのようにノートをつけながら傾向と対策を掴んで行きましたし、試合に入るときは必ずエースの球数をイニングごとにチェックするようにしていました。
また、1番磨いたのは牽制とクイックでした。牽制は得意になる位やりましたし、クイックも速くなりました。とにかく速い球が投げられませんでしたので、違う部分で秀でなければなりません。だからこそ牧田のように工夫する気持ちが凄く私にはよくわかりますし、足の着地を1歩遅らせるなどやることがハイレベルで、凄いなあと思います。

⑧ 高校生活の終わり

秋・春・夏と強豪私立に敗れ、私の高校球児生活は幕を閉じました。
どの大会でも投げることが出来たことはとても光栄ですし、夏も投げる機会があったことは一生の記念になります。高校球児は3年の夏を目指して2年半耐え抜きます。私のような普通の高校でも練習は耐え抜くものでしたので、私立などはその比ではないように推測します。坊主頭で何キロ走ったかも忘れるくらい走りまくった記憶が鮮明にあります。いろいろと喜怒哀楽経験出来ましたし、高校野球を経験したことは一切悔いは有りません。高校で部活をやって悔いのない人が多いのは、1番花形の大会で幕を閉じるからでしょうか。とても素晴らしい大会が高校野球にはありますので、だからこそ後悔する人はいないのかもしれません。
最後にコラムを見て、何か少しでもへえ、と思ってくれる部分があればいいなと思いますし、アンダースローの投手について何かこう、見てくれればいいなと思います。
私のようなセンスのない人間でも、140km投げる投手と対等に投げ合える投法ですし、強打者を抑える投法でもあります。本当にこのアンダースロー投手へと導いてくれた監督には感謝しますし、心から良かったと思っています。アンダースローは実は誰でも出来ます。身体の横に腕を水平に伸ばし、右腕を90度上に折り曲げ、そのままお辞儀するように腰を折り、くいっと回すだけです。腰を回す時に肘の関節を前に出すように投げればいいだけで、慣れればとても簡単です。今度キャッチボールするときにでも挑戦してみてください。肩が痛くなりますが・・。

これでコラムは終わります。中途半端になりましたが、こういう試みをしてみたかったということもあり挑戦してみました。明日から通常営業のロッテファンブログに戻ります。明日は西野。勝ちましょう!

 にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ
最後にクリックして頂ければ嬉しく思います。


スポンサーサイト

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

【コラム】私と野球、そしてアンダースロー論

え~、ではこの交流戦ブレイクを用いて、前回の続きを書いていきたいと思います。読み手をあまり意識せず書いてしまい、申し訳ないです。では、いきます。


かなり厳しい練習のなか、辞めたいと思いましたが、楽しい仲間と、あまりクラスに馴染めなかったことこともあり、野球部で集まることが多くなりました。どこもそうだと思いますが、野球部本当に仲いいねとみんなに言われるくらいで、段々体力もついてきたこと、帰りにベーコン串を買って帰るという楽しみも見つけ、練習を続けていきました。
そして高校1年の夏、3年生は4回戦まで行きましたが、惜しくも私立高校に負けてしまいました。スタンドから応援していましたが、やはり切ないものでした。ですがこれで夏、新チームになり、私を含む1年生はボールを使った練習に励むことが出来ました。とはいっても夏場は地獄で、夏場は全員がベース上に立ち、ひたすらボール回しで、順回しと逆回しを30周ずつ、全員が取って投げるということが出来ないと休憩に入れません。ボールがグラブから落ちたらリセットです。7月は相変わらずボール回しとノック、そこにサーキットトレとロングティーがあり4時頃練習終了、そのあとは自主練ですが、私は内野手だった為ティーバッティング軸の練習内容でした。夏休みも明けた2年秋には背番号19を貰いました。この時は内野手の控え。セカンドとしてのベンチ入りでした。秋からは実践的な練習に入ります。地獄だったのはやはりノックでした。午前中いっぱいを使うノックは4時間ノックを受けっぱなしで、口の中は唾液も出ない位カラカラ、熱射病で倒れる人間など当たり前にいる生活で、毎日走りまくっていた私も立てなくなるくらいハードでした。1番の野球部の経験です。あとは雨が降っても4階建ての校舎内を30周するもので、これも信じられないくらいハードでした。冬、ボールを使わない練習で徹底的に身体を鍛え、春になり春の大会は背番号20でぎりぎり背番号を貰いました。そしてこの時、私にひとつ転機が訪れます。

③ アンダースロー投手への転換

私はもともとスローイングが弱く、投げ方がおかしいと高校に入り言われ続けてきました。このままだと肩を壊すなど言われ続けてきました。いくらスローイングの練習してもセンスがなく、治りません。そこで打撃投手をアンダースローでやれと言われました。もともと投げ方は悪いものの、コントロールだけは良かったので、良く打撃投手をしていましたが、言われた通りアンダースローで行いました。すると自分でもびっくりするくらい腕を使って投げられ、監督がこれだという表情、お前をアンダースローの投手として育てたいということになりました。当時、先輩には右と左の投手が2名、同学年にも右と左の本格派が2名おり、私はどう考えても5番手です。私はそこから練習試合でセカンドとして出つつ、2イニング程度投手として投げるようになりました。あれよあれよと練習試合では無失点が続き、めったに出ることのなかった1軍の練習試合でも投手として投げるようになりました。アンダースローだととてもキレイなフォームになり、肘を使ってしなやかに投げられることが出来ました、自分でも不思議ですが、何故か投げられたのです。しかしながらまだまだやはり層の薄い内野手として、セカンドの控えとして夏の大会は14番の背番号をつけました。

④いよいよ新チーム、投手としての本格デビュー

高校2年の夏は出番がなく、チームは2回戦でシード校に敗れました。そして新チーム、私は投手用のグラブを買い、投手の練習をするようになりました。チームには右と左の本格派が2枚いましたが、私は守備がうまい方ではなく、セカンドとしてのレギュラーを取れるかどうかは微妙なところでしたし、なにより投手になったことでやることが明白になったことがありました。秋の大会はセカンドとして、そして投手として出場しました。
投手としての秋の練習メニューを少しご紹介しましょう。
まず朝。朝学校に来ると、6km走ります。1時間くらいかけてゆっくりと。アンダースロー投手として1番思ったことは、やはり足腰です。制球力の比較的いい私でも、後半になり土台がぐらつくと、失投が多くなりました。また手投げになり球威が落ちることで、長打を浴びるケースがあったのです。午後、平日はバッティング練習であれば自分のバッティング練習をしたあとまた走ります。ノックでもそう。試合形式の練習でもそうです。終わったら必ず走る。大体毎日8km位走っていたでしょうか。そのあと筋トレに励みます。練習は9時前くらいまで行っていました。

⑤アンダースロー投手としての考え方 Ⅰ

アンダースローにとって1番大事なこと、それは紛れもなく制球力です。インを突き、高めを振らせることができなければ簡単に打たれてしまいます。時にはインに投げること、低め中心に突きながら打者の頭の高さに投げ切る勇気、投げ損ねれば1発長打のところに投げぬくという制球力でしょう。だからこそ高めなら立つ、ツーノーからなら完全にボールに構えてもらうなど、捕手の構えにも気を使いました。私はもう辞めて10年以上たちますが、それでもだいたい小さい洗面器くらいのところに投げられる自信があります。外角ギリギリの部分が投球の中心になりますので、100球投球練習をすれば半分以上はアウトローに投げる練習でした。そしてアンダースローが右打者に対する場合、絶対にファールになるインコースのボールひとつ外れたゾーンがあります。カウントを稼ぐにはそこ、ただし少しでも外れればホームランボールというところに投げ込む練習も徹底的にやりました。そこに投げ込もうとして長打を打たれこっぴどく怒られた経験はひとつやふたつではありません。(つづく)

さてさて、長くなってしまいました。明日また続きを書きたいと思います。

にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ
そしてマニーラミレス。来るのか、千葉に。
最後にクリックしていただければ嬉しく思います。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

【コラム】私と野球、そしてアンダースロー論

いっちょまえにこんなタイトルをつけていますが、交流戦ブレイクを使って、私自身の野球漬けとなった青春時代を振り返りたいと思います。私自身、高校まで野球をやり、アンダースローの控え投手でしたので、アンダースローとはどうなのか、何を考えて投げるのか、私がなんでこんな変な投げ方の投手になったのか、本のような形で何回かに分けて書いていきたいと思います。いっちょまえですが、私自身、一生懸命学生時代、野球に打ち込んでいったのは事実、その中でアンダースローの投手として頑張ったわけですので、アンダースローのイロハはわかっているつもりです。意外と知らないアンダースローの世界を、少しだけ私自身わかることなどをご紹介し、へえ、アンダースローってこんなんなんだと思ってくれればうれしいです。

① はじめに

私は小学生から野球を始め、基本的に内野手をやっていました。中学校でもその経緯を経て、内野手として入部、そこまで強くない普通の中学校で部活に励んでいました。そんな私が中学3年生の時に1番をゲットし、高校3年生で10番をゲットするまでの過程、並びに高校時代の私の野球に対する「アンダースローの控え投手」としての考え方などを、何回かにまとめて、書いていきたいと思います。

②中学校時代、1番をもらうまで

先にも書いたように、私は中学生の時、内野手で入りました。1番の希望はショートで、下級生時代は上級生の部員数も多く、背番号はもらえませんでした。そして新チームとなり、私は2年生の秋の大会で6番をゲットできました。打順も5番辺りを打っていたでしょうか。私の代は部員が少なくなり、エースは2年生がつけていました。当時、後輩にはのちに強豪私立で投手として活躍する2名の部員がおりましたし、私が投手になることはありませんでした。
ですが、私にはひとつ、欠点がありました。それはずばり、守備がへたくそなことです。私は春の大会は背番号3をもらい、ファーストになっていました。サードも経験しましたし、外野は既に埋まっていたため、たらいまわしになりました。個人的にもこのときいい加減守備がへたくそなこともわかっていましたし、センスがないということに気づきました。
そんな中、後輩の投手2名が幸運なことにという言い方は変ですが、2人とも不調になりました。右投手は真中にしか集まらなくなり、逆に左投手の方はストライクが入らなくなりました。そんな中で春の大会は負け、いよいよ残すは最後の3年生の夏です。私は春が終わり、投手として1度投げさせてほしいと志願しました。その時、普通に投げていれば、上背もなく、球も速くない私がぽこぽこ打たれるということはわかっていました。だからこそダイナミックなフォームでサイドから投げることにしました。私は小学生から形態模写が大好きで、いろいろな投手のものまねをしながら、アパートのごみ置き場の壁に向かいながら壁あてをすることが大好きでした。だからこそ、コントロールには一定の自信もありました。この壁あてこそが、私の制球力の大きな基礎になっています。そうすれば、その練習試合で、あれよあれよと無四球完封をしました。監督自身も守備があまりうまくないということに気づいていたこともあり、私は本格的に投手になりました。そのあとは少しずつ球威も増し、カーブやシュートも覚え、そして何より狙ったところに投げられるという制球力を身に着け、夏の大会では強豪私立にのちに入る後輩を尻目に、背番号1をゲットできました。中学の軟式野球でもやはり制球力、というのが1番ですし、私には投手があっている、これしかないと思っていました。夏の予選は県大会前に負けてしまいましたが、自分の野球人生の中で投手を経験し、ある程度成功した中学生時代は忘れることもできませんし、これまでの野球観の礎になっているのは言うまでもないでしょう。1つだけそこまで野球が強くない高校から推薦が来ましたが、受験勉強し、公立高校にそのあと入りました。

② 高校野球に入部、厳しさに唖然

当然高校でも野球部に入部しました。1年時の部員が20人程度いたでしょうか。まず、希望ポジションが聞かれるのですが、投手希望が7人ほどいました。シニア上がりの投手もおり、私はそこで手を上げることができませんでした。私は希望者が2名のセカンドで手をあげました。しかし、入部してからはまず4km走り、腕立て、腹筋背筋の毎日。先輩の練習後には1時間かけてグランド整備をし、帰るのは9時を回る時間でした。5時半に終わっていた中学校の部活とはまるで違います。ここですでに、何人か辞めていきました。私もこんな生活したくない、髪を伸ばし、外で友達と遊びたい、そう思っていました。野球の練習って苦しいんだな、先輩は当然怖いですし、ボール1つ触らせてもらえず、キャッチボールもさせてくれない4月。ああ、辞めたい辞めたいー。そう思っていました・・。(つづく)

すみません、第一部は自分の話ばかりになりました。明日第二部にて高校野球の練習や、他もろもろについて書いていきたいと思います。長くなりそうですが、ぼーっとしながら見ていてくれればうれしいです。

にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ
最後にクリックしていただければ嬉しく思います。

テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

ロサンゼルス旅行記part3 ドジャースタジアム編

CIMG1100.jpg
ではではまだまだ続くロサンゼルス旅行記。今日はドジャースタジアムの写真を載せていきます。

CIMG1103.jpg

ユニオンステーションまで地下鉄で行き、ユニオンステーションからは専用の無料シャトルバスで行きます。なんせこの地下鉄の雰囲気、夜は乗りたくないという感じです。バスの中は小学校2年生のクラスのようなうるささ。みんな野球好きです。

CIMG1106.jpg
CIMG1107.jpg

ドジャースタジアムはレフトとライトしか入場口がありませんが、フロア別に3つ入口があります。西武ドームに2階席と3階席があるような感覚でしょうか。最初はどこが入り口なのか、よくわかりませんでしたが、なんとか入れました。厳重な厳重な手荷物検査を経て・・。暑くてヘトヘトです。

CIMG1109.jpg

正面はたったこれだけ。これがベースボールフィールドです。歴史を感じる、非常に古い球場です。

CIMG1121.jpg

7ドルのビール。高い・・。そしてまたしても地ビールです。

CIMG1128.jpg

先発はリュヒョンジンでした。左から95マイルくらいの重たそうな球を投げていました。7回途中まで1失点で抑え、8連敗中だったドジャースファンはスタンディングオベーション。私もスタンディングオベーションしてきました。

CIMG1114.jpg

バックスクリーンに見える、アメリカの国旗・・。

CIMG1113.jpg

天然芝のキレイなスタジアム。これがドジャースタジアムです。

CIMG1116.jpg

外は非常に古いですし、中もそれなりですが、やはり大きい・・。迫力があります。5万5千収容です。

CIMG1123.jpg
こんな間近でMLBが見られるとは・・。感無量です。

CIMG1124.jpg
ドジャースファンの多くはケンプのTシャツを着ていました。今年は調子悪いですが、ロスの英雄です。

CIMG1149.jpg
夕闇に染まるスタジアム・・。
CIMG1153.jpg

ナイターはまた最高の雰囲気です。エキゾチックです。

CIMG1151.jpg

CIMG1134.jpg
スコアボードはこんな感じでした。打率と守備位置が表示されます。このあとこのゴードンがホームラン放ちました。しかしなんだなんだ、このマーリンズの悲惨な打線は・・。

メジャーのベースボールは格が違いました。内野手も肩がアホみたいに強く、やはり最高峰の野球という感じでした。ずっと願っていたメジャーリーグ観戦できたことに本当に感無量で、最高の時間でした。もし機会があれば、本当にもう1度行きたい、あとはボストンとか、ニューヨークに行ってみたい、そんな欲も出ました。最後には謎のメキシコ人とずっとしゃべっていましたし、本当にいい思い出しかありません。そしてこのロサンゼルス旅行記、また暇を見て書いていきます。

にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ
明日は西野ーカブレラです。念願の名古屋での交流戦勝利を期待しましょう。
最後にクリックしていただければ嬉しく思います。

テーマ : ロサンゼルス
ジャンル : 海外情報

ロサンゼルス旅行記part1 羽田~LAX

CIMG1033.jpg

5月10日から昨日未明まで、5日にわたって、ロサンゼルスへ旅行に行ってきました。まだまだバカンス気分が抜けず戸惑っていますが、それでも明日からしっかりお仕事ですので、頑張ります。めちゃくちゃたくさん写真を撮ってきましたので、ここでまたいろいろとアップしていきたいと思います。

CIMG1026.jpg

羽田での入国審査も無事終わり、10日(金)の深夜10時半、ここに入ります。朝から本社に行って会議で疲れていたので、眠いのなんの。免税店では軽く見る程度で、あとはテレビで多村の3ランを見たり、おにぎりを食べたりしていました。

CIMG1027.jpg

私が乗ったのは下から5個目、0時30分発です。羽田の深夜便は数多くあり、私が乗ったのは131ゲートだったのですが、隣にはクアラルンプール行、その隣はバンコク行きで、椅子びっちりになるくらいいろいろな人たちが待っていました。国際線はこれがあるから新鮮です。

CIMG1030.jpg

機内ではこんなゴルフのゲームをして遊んでいました。難しいのと、酔いそうなので3ホールでフェードアウトしました。

CIMG1031.jpg

そんなこんなで近づいてきます。あまり眠れず、4時間から5時間くらいだったでしょうか。行きは10時間かからず、日本時間でいえば土曜日の10時半頃、現地時間で言うと金曜日の18時半くらいです。金曜日の18時半って、熊谷をちょうど出るかどうかという時間帯だけに、非常に不思議な感覚になりました。時差はマイナス16時間でした。ブラゼルに似ているものの、無愛想な保安官にようやく入国の許可をもらい、8時くらいにロサンゼルス国際空港から走っていきます。

CIMG1035.jpg

夜8時だというのに、非常に明るい街。8時半くらいにようやく真っ暗になります。

とまあ、今日は着くまでをご紹介しました。何回かに分けて、いろいろと書いていきたいと思います。写真はまだたっぷりとありますので、合間を見て紹介できればなと思います。明日から仕事、憂鬱ですが、頑張ります・・。

にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ
ぜひもう1度、訪れたい街です。いいところでした。
最後にクリックしていただければ嬉しく思います。

テーマ : ロサンゼルス
ジャンル : 海外情報

プロフィール

tomten

Author:tomten
千葉ロッテマリーンズについて毎日、大分生まれ、千葉県育ちの私がつれづれ書いているブログです。



にほんブログ村 野球ブログ 千葉ロッテマリーンズへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

訪問していただいた際、お好きなバナーを1つでもクリックしていただくと嬉しいです。(それぞれのランキングページに飛びます。)

ツイッター始めました~。tomten45でやっています。よろしければそちらもよろしくお願いします!
※当ブログはリンクフリーです。リンクされた場合は教えていただければ幸いです。

最新記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
ぶろぐ村ランキング
リンク
プロ野球freak
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2カウンター
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
スポーツ
2638位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
野球
345位
アクセスランキングを見る>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。