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マリーンズをひたすら愛する30歳、サラリーマンのブログです。
(ニッカン)愛の力はやはり強烈だった! ソフトバンクの新外国人ロベルト・ペタジーニ内野手(38=韓国LG)が、来日後初観戦した愛妻オルガ夫人(63)の前で移籍後初安打、初打点、初猛打賞をまとめて記録し、サヨナラ勝ちに貢献した。
1軍昇格で夫人の試合帯同解禁としていただけに、発奮せずにはいられなかった。「6番一塁」で先発し、4打数3安打1打点。日本での安打は、巨人時代の04年10月7日のヤクルト戦(神宮)以来2061日ぶり、3安打は同9月11日のヤクルト戦(東京ドーム)以来だ。「愛妻パワー」を注入!? されての活躍に「ボクも妻もハッピー。毎日、1打席ごとに体がキレ始めている。3本のヒットにつながりうれしい」とニッコリ。試合後、夫人と仲良く腕を組み車に乗り込み、意気揚々と球場を去った。
昇格2戦目で全快だ。まずは3点ビハインドの2回裏無死一、二塁で魅せた。中日先発の中田賢から一塁強襲の適時打を放ち、同点に追いつく口火を切った。2点を追う6回裏には、先頭打者として初球打ちで右前打出塁。またしても同点に追いつく起点になった。8回裏にも中前打した。「1本ヒットが出たことで、その後リラックスできた」と声をはずませた。
研究熱心さが実を結んだ。1軍昇格後、試合の前後にスコアラー室にこもり、中日投手陣をビデオ分析。秋山監督も「研究熱心だよ。データやビデオをよく見ているしな」と感心していた。夫人は今後も観戦に訪れる予定。「ラブパワー」でチームの勢いに火をつける。
(デイリー)阪神大震災から15年が経過したことを受け、30日、スカイマークスタジアムのオリックス‐ヤクルト戦は「がんばろうKOBEデー」として行われた。オリックスは「ブルーウェーブ」時代のユニホームで試合に臨み、快勝した。試合前には当時の投手陣を支えた野田浩司さん、小林宏2軍コーチらが始球式を行うと、試合中のアナウンスは当時と同じDJ・KIMURA氏が担当し、雰囲気を再現。集まった3万4千人を超える観衆は大いに盛り上がった。
今季最多の3万4545人を集めたスカイマーク。復刻版ユニホームの右肩には「がんばろうKOBE」のワッペンがはられた。少ないチャンスでの得点を守り抜き、9勝5敗で西武、ロッテとともに交流戦首位に立った。強いオリックスの再来を感じさせる戦いに、岡田監督は「こういうゲームやっとかんと、なかなか1年いかんと思うし、だいぶいい形になってると思うし」と手応えを口にした。
1995年1月17日。未明の激震を、所用で滞在していた高知で知った。「忘れろ言われたって忘れられん。大変な年やった」。ままならぬ生活。「野球しててええんかな」と感じながら、自らは現役選手として復興を目指す街とともに、快進撃で突っ走った。
あれから15年、イチローはいない。だが、背番号51を間近で見て育った日高が二回に豪快な先制弾を放ち、八回にはきっちりダメ押しの2点を挙げた。投げては先発山本が七回途中まで無失点で粘ると、1死一、二塁のピンチでは平野を投入。代打・畠山、宮本を連続で空振り三振に斬る完ぺきな火消しぶり。ここから岸田‐レスターとつなぎ逃げ切った。
これで5月は10勝10敗の5割。「ゴールデンウイークは負けとったしな。連敗止めて交流戦に入ってからやな。やっぱり後ろに1枚、岸田が加わったのが大きい」と話した。
日高は最後までマスクをかぶった。シーズン当初はリード面での物足りなさから2軍落ちの荒治療まで施した。「ワンランク上のリードできるようになればいい。今はちょっと違うリードしてるよ」と成長を認めた。
「地震前の元気な神戸に戻らんとな」。そのためにも勝つ‐。力量を見極め配置転換し、既存の戦力の底上げを図る。あのころに負けない強いオリックスをつくり上げるつもりだ。
(スポニチ)先発のスタルツが好投も、2点リードからの継投策が裏目に出た。8回、2番手の林が同点とされ、延長10回は故障明けの永川勝が制球難。2四球などで満塁として嶋にサヨナラ適時打を浴びた。
エース岩隈を相手に勝ちを拾える展開だっただけに、野村監督は救援陣の乱調に我慢がならない様子。「ストライクを取ることでいっぱいいっぱい。きちっと抑えてくれないと、投げるところがなくなる」と苦言を呈した。