思い出深い投手です・・。さようなら、49番。
ロッテ・薮田 今季限り現役引退へ “YFK”で2度の日本一けん引 ロッテ・薮田安彦投手(40)が今季限りで現役を引退する意向を固めたことが24日、分かった。複数の関係者が明かした。早ければ、25日にも引退を表明するとみられる。
今年2月の石垣島キャンプでは、首脳陣から守護神候補に指名され「若い選手には負けられない。クローザーで勝負したい」と意気込んでいたが、キャンプ中に左足首を痛めた。開幕後は首や右肩を痛めてここまで1軍昇格はなし。復帰を目指してリハビリに励んでいたが、4月20日のイースタン・リーグ、ヤクルト戦(戸田)が最後の登板となった。1軍では守護神に2年目の益田、セットアッパーにルーキー松永らが台頭してきたことも、引退を決意するきっかけになったようだ。
入団当初は先発を務めたが、04年に中継ぎに転向。05年には小林雅、藤田と勝利の方程式を担い、31年ぶりの日本一に貢献して「YFK」と呼ばれた。日本有数の救援投手に成長し、06年には第1回WBCに出場し、日本の初優勝に貢献。08年にロイヤルズに移籍し、10年にロッテに復帰して2度の日本一を支えた。
(スポニチ)
今だから謝らないことがあります。高校3年の夏、2003年私は野球部を引退し、ロッテファンの友達と、「夏休みはたくさんマリンに試合見に行こう!」「これでやっと行けるね!」なんていう話を学校帰り、予備校帰りにしていた私と友人は、「でも先発薮田の時は止めような」「はは、見るならミンチーか直行だな」なんていうことを話しており、まさかまさかその時はここまで大車輪で働いてくれると思ってもいなかったことを思い出してしまいます。本当にごめんなさい、そしてありがとうと言いたいです。
先発としてあまりうまく立ち回れなかった薮田の1つの大きな転機は間違いなくボビーバレンタインでした。力強い真っ直ぐと落差大きいフォークが中継ぎでいかんなく発揮され、2004年は66試合、優勝した2005年は59試合の大車輪で、YFKの一員として頑張ってくれました。8年間先発の谷間とロングリリーフを投げていた薮田がここまで立派な投手になるというところは本当にめぐりあわせと努力と才能でしょうし、素晴らしい投手だったと思います。2005年のプレーオフでの素晴らしいギラギラした目での投球、力いっぱいフォークを落とす投球、そして第一回WBCでの活躍と、書いていれば本当にきりがないくらい、薮田と共にロッテを見てきたファンとして誇りの存在でした。
大阪出身の性格なのか、とにかく負けん気が強く、アメリカでは苦汁を味わったものの、またしてもロッテ復帰となった時には本当にうれしかったですし、2010年はセットアップとしていきなりの大活躍、2011、2012とコバマサ、荻野を引き継ぐ劇場王として君臨してくれました。3年連続50試合登板していた薮田が今年投げられないだけで引退、というのは非常に寂しいですが、ここ数年で最も早いスピードでチームの移り変わりとなっている今、決意があったのかもしれません。
メジャー2年を含めて17年のプロ生活、ほとんどをセットアップやクローザーなど神経をすり減らす役職で、ロッテマリーンズのために投げてくれたことを、私は忘れませんし、薮田の存在は本当に大きかったです。「薮田の時見に行くの止めよう」なんて言っていた高校3年の人間は、今や結婚し、異動を経て、社会人6年目です。そこまで私も年を取ったのだから当然選手だって年を取ります。桧山、前田とセのスターの引退ももちろんかなりサンしいですが、ずっとロッテにいた薮田の引退はグッとくるものがあります。また少し太ってもいいですから、帰ってきてくれることを願っています。
長い間支えてくれてありがとう。魂は受け継いでほしいものです。
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